今週のお題「私とケータイ」

 私が携帯を初めて買ったのは、10年前でした。

 セ○ジョーを退職して株式会社を作り、セイ○ョーのフランチャイズに加盟して、独立開業した時期でした。
 それまでは、PHSを使っていたのですが、世界初のカラー液晶携帯がJ-Phoneから発売されると聞き、J-SH02(1999年12月製造:写真左上)を初日に購入しました。年に362日働いていた時期なんですが、仕事後はロードスターなんぞもマニュアルで乗り回していた仕事も遊びもめいっぱいな時期でした。
 その後、SH-04(2000年)⇒SH-07(2001年)と機種変更を繰り返して、SH51(2002年:写真右上)に行き着きました。
 SH51は当時は目新しかったMP3再生もできるようになり、SDカードも使えるということで、着うたの時代到来前に携帯で音楽を聴きながら店に通うライフスタイルに変わりました。この機種の完成度は高く、これを上回る新製品が出なかったことと、諸事情で自分の会社を去ることにしたりであわただしかったこともあり、2年半という私のケータイとしては最長の期間使用しました。
 その間にJ-Phonevodafoneに吸収されて社名変更となり、初めてSHARP以外の携帯にしてみたのが、東芝V601T(2004年末)でした。辞書機能やクマのアプリが使いやすく良い携帯でした。この時期に結婚をし、息子も生まれました。

 2006年ワールドカップがワンセグで見たいというただ一点で、『例によって世界初』のワンセグ携帯905SHに機種変更しました。が、実際のところ、当時の受信状況がいまいちだったこともあり、ワンセグはあまり使いませんでした。さらに、携帯の主要機能自体も頻繁な機種変更でマンネリ化して、どれでも良いという気分になっていました。私生活では、SH51のころに開業(自営業)した薬店が軌道に乗るかな。。。というタイミングで大手なら(商圏が小さく採算が合わないので)出さない立地である自分の店の二軒隣に自分の店の5倍の大きさの某昔有名だったドラッグストアが出店して、苦渋の決断で廃業しました。
 そして、昔勤めていた2社のうち、コー○イドラッグの社長には独立時に大変お世話になったのですが、商社経営のチェーンに売却された直後でもあり、セイジ○ー時代の先輩を通して、セイジ○ーの面接を受けました。社長に期待しているとの言葉と役割をいただきましたので、経験を生かして、やれることを尽くそうということで再度セイジ○ーに入社しました。
 息子に障害があることも何となく予測していた時期でしたし、もう、独立する精神的余力はなくなってましたので、息子が飛行機を嫌がるようになる前に結婚式を挙げた沖縄に頻繁に行こうということで、家族で毎年沖縄に行くようになりました。
 2008年春の沖縄旅行中に905SHが水没しました。しかし、沖縄の海でもプールでもなく、酢豚弁当の汁に浸かって905SHは息を引き取りました。
 iPHONE3Gの発売が決まっていた時期でしたので、あえて2ヶ月間携帯なしで過ごすという荒業に出て、iPHONE3Gは初日にゲットしました。いわゆるガラケーに飽きていたので、遊びの気分で購入したiPHONEを入手したことにより、便利なMAPやSAFARI等はもちろんリマインダーやGTDとして大活躍するようになり、ケータイがむしろ仕事で役に立つようになりました。
 そして、現在はiPHONE4を手にしています。3Gと大きな変化はありませんが、むしろ歓迎していたことで、CPU,メモリ、ディスプレー、カメラ全てが正常に進化していて快適です。

 最後に、廃業した自営の店舗跡地は現在、SOFTBANKショップになっています。
 何か縁があるのでしょう。