死を意識して生きる

午前三時に思うこと:
自閉症の息子(6歳)が無意識に部屋の壁を蹴って、目が覚めた10/8 午前3〜5時に書いた文章。

 日々、死を意識することで無駄なこと・やるべきでないことを削ぎ落として、アートとITを結びつける偉業を成し遂げたスティーブ・ジョブスのようには、私はまったくいかず、無駄だらけに生きています。
 しかしながら、私は父がちょうど今の自分と同い年で亡くなり、その時(7歳)から常に死を意識して生きてきました。
具体的には父と同じ42歳で人生が終わることを想定して、後悔のないように生きようとしてきました。

 父が肺癌で亡くなりましたので、癌の治療薬というものが本当に可能なのかどうかということを知りたいというのが、薬学部を受けた動機の一つにはありました。
 大学在学中良いと言える成績でありましたし、母の知り合いに中堅製薬メーカーの営業本部長の方がいらして、当時はコネ入社ということも十分可能な時代ではありました。
 しかし、開発関係の仕事に運良くつけたとしても、自分に何かを創り出す才能がそこまでないことも自覚していましたので、単純に商売をやってみたいという気持ちの方を選びました。
 大学在学中に、女手一つで自分を育ててくれた母が体調を崩しておりましたので、大学院に進むという選択肢が無かったのも事実ですので、この選択は後悔しておりません。卒業後少しして膵臓癌で入院した母は一年少しで亡くなりました。
 当時入社したドラッグストア企業は、世田谷区中心の狭いエリアにドミナント出店しておりましたので、母から離れる引越しの可能性が低く、パンフレットに(一応)FC制度があると書いてあったその会社に、当初から独立開業を目標として入社したのは、そういったことからです。
 その後、目標通りに独立してアレコレあって、元のドラッグストア企業に戻って、現在があるので人生不思議なものです。この辺の顛末は自分のエンディングノートに記そうと思っています。
 思っているだけで、すぐにやらないのが、ジョブスならぬ凡人の証明ですが
(^_^;)

 さて、ここまでがナガーイ前置きでして、本題を短く…というかすでに書き始めて二時間経過して焦っている次第です。

 知的障害を伴う重度自閉症の息子が、運良く少し(車で70〜80分)離れた希望の特別支援学校(養護学校)に入れたとしたらもちろん、もし地域の特別支援学校になったとしても、マンション暮らしは息子の体格向上で限界にきていると日々感じます。四六時中多動で動き回っている息子はアスリートのような引き締まった筋肉を自然に身につけています。
 四年ほど前に、比較的防音に優れたマンションを選んだものの、多動と癇癪で階下や両隣の方へのご迷惑を思うと神経が磨り減ります。
 しかしながら防音室も設置したりして、一戸建てへ引っ越すとすると、かなりのお金がかかるので厳しいところです。

 さて、以前の妻と自分は、自分たちが他界した後の息子のために、少しでも多くの蓄えを残してあげようと考えていました。
 おそらく、私が一番泣いた映画「海洋天堂」で出てくる隣人のような限りなく優しい商店の隣に住まない限り、息子は自分で物を買うという事すら一生できないでしょう。しかしながら、蓄えがあれば何らかの助けにはなるだろうという漠然としたものでした。
 妻が調べたところによると、息子程度に重度な場合、(両親の死等で)両親と生活できない状況を迎えると、最終的には施設住まいになってしまうそうです。
 そう考えると、
今、動きたい息子に近隣の迷惑を考えて動かないように強制して、双方にストレスがかかる生活でお金を使わないようにするよりも、
例え自分の死後に幾ばくかの資産を残してあげるよりも、
一緒にいられる間に息子が少しでも幸せなようにしてあげた方が良いのかなぁとも思えてきました。

そんなことを思った秋の深夜でした。